長柄八幡宮の由緒


【由緒略記】

 当、長柄八幡宮は永仁4年(1296年)に山城国の石清水八幡宮(男山八幡宮)より御神体を勧請して祀られたのが起源でございます。

 主祭神を八幡大神とし、御神体は今より約710余年前、即ち八幡神崇敬の最も盛んな鎌倉時代の特徴を表現した国宝的価値ありと謂われる僧形八幡神像を安置しており、神仏習合に依る神宮寺であります。

 又、本社と表裏一体の関係にある相殿には出雲神社の大己貴大神、少彦名大神をお祀りしております。

 その存在を証するものに享保3年、同7年、元文3年、延享2年、同4年、慶応元年の検知図書に記載されております。

 又、社殿の建替を記録するものには明応9年3月18日、文禄3年、宝永5年8月12日、大正6年5月25日、昭和40年10月18日の5ヶ度になります。

 明治5年村社に列し、同42年6月大阪府告示第203号により幣帛共進指定神社となり大正3年3月31日に北長柄村末広住吉神社を合併しまして現在に至っております。




            やはたのおおかみ
【主祭神 八幡大神】

 八幡大神とは応神天皇・比淘蜷_・神宮皇后の三柱を総称した神様でございます。

 平安時代の平将門の乱、藤原純友の乱、鎌倉時代の元寇などの時には、朝廷より石清水八幡宮へご祈願があり、その後八幡大神のご神徳のもと速やかに平定されたことより災いを除ける神様・厄除けの神様として氏子・崇敬者よりご崇敬を頂いております。

 また応神天皇が八幡大神であるとされていることから皇室の祖神ともされ、皇室から分かれた源氏も八幡大神を信仰し、源義家は石清水八幡宮で元服したことから、八幡太郎義家と呼ばれ源氏をはじめ、足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏など、多くの武人が信仰したことから武神・弓矢の神・必勝の神とも伝えられております。

【相 殿】 大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
【相 殿】 少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)

【合 祀】 住吉大神(すみよしのおおかみ)





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